西論

伊勢志摩サミット 日本を見直すきっかけに

 終戦直後から、連合国軍総司令部(GHQ)は矢継ぎ早に日本の改革を実施した。昭和20(1945)年12月には神道指令により、神道への国や自治体のかかわりが禁じられた。

 その神道指令の英文を見ると国家神道とは、非宗教的なカルト、とされている。カルト、いわば狂信とみなされているのである。以前、別のところで参照したGHQ宗教課調査スタッフだったウィリアム・ウッダードは、回想録にこう書いている。

 「神道を国家から分離した理由は、神道の教義が世界平和に敵意あるものであり、日本の超国家主義、軍国主義および侵略主義も国家神道のカルトに根づいており、それによって精神が汚染されているという連合国軍指導者たちの理解によるものであった」(「天皇と神道」)

 これが日本に対する当時の西洋文明側の理解だった。神道は邪教視されたといってよい。西洋に限らない。戦後の日本人自身が、神道を否定的に見るようになってしまった。神社への公費支出などが再三、違憲に問われ、公教育の場から神道も神話も姿を消した。

 しかし宗教や神話といった、国民のアイデンティティーにかかわるものを否定する国家が、健全であるはずがない。GHQが植え付けたような神道観がむしろ誤ったものであることはいま、常識に照らせば明らかだろう。そして神道に対する海外の認識もすでに相当に改まっていることを、今回の伊勢神宮訪問は改めて感じさせた。

 ◆敗戦国史観の克服

 第2に歴史観に関して。オバマ大統領の広島訪問は、原爆投下を正当化するようなアメリカ側の一方的な戦勝国史観の、少なくともゆらぎを語っていよう。このゆらぎは、戦後日本を厚く覆ってきた敗戦国史観のゆらぎと対をなしているように筆者には思える。