日台の観光客の相互訪問は伸び、15年は542万人となった。日本を訪問する海外の観光客で、台湾(約368万人=日本政府観光局推計値)は中国、韓国に次ぐ第3位。事実上の航空自由化で、地方空港への路線が増加したことも増加に貢献しているとされる。
14年には台北・故宮博物院展が日本で開催された。同院の院長が「閣僚」であることを考えれば、これも馬政権の対日友好姿勢の一環といえる。台湾側は14年を通じ、日台関係は「断交以来、最良だ」との評価を口にした。
こうした姿勢について、馬政権下で対日政策に関わった重鎮は「12年の総統再選を目指す上で、親日的な世論の支持を得るためだったのだろう」と振り返る。ただ、馬総統は13年3月の東日本大震災で、日本への義援金を呼びかけるテレビ番組に夫婦で出演しており、友好的な姿勢は2期目に入っても続いたといってよい。
理性より感情が優越?
雲行きが怪しくなってきたのは、馬政権が「抗日戦争勝利70周年」と位置づけた15年に入ってからだ。当初、馬政権は「日中戦争を戦ったのは中国共産党ではなく中華民国の国軍だ」(国防部)として中国国民党政権の正統性を中国に対して訴えていたが、徐々に「侵略の過ちは許せても、歴史の真相は忘れてはならない」(馬総統)と「抗日」を強調するようになった。馬総統は「私は親日派でも反日派でもなく、友日派だ」と釈明したが、関連の活動には規模の大小を問わず足を運んだ。慰安婦問題でも日本政府に謝罪と賠償を求める発言を繰り返した。