田中靖人の台湾情勢分析

馬英九前総統はなぜ知日派から反日に転じて「有終の美」を自ら捨ててしまったのか?

 馬総統は3日後には南部・台南に出向き、日本統治時代に烏山頭ダムの建設に尽力した技師、八田與一の慰霊祭に参加した。八田與一はその後、馬政権の対日友好姿勢の象徴となり、アニメ映画が制作され、11年には記念公園が整備された。馬総統は就任演説では日本に言及しなかったが、日本の国会議員団を総統府での昼食会に招き、対日重視の姿勢を示した。

 就任直後の08年6月には台湾の遊漁船が尖閣諸島の領海内で日本の巡視船と接触して沈没。当時の行政院長(首相に相当)が「開戦も排除しない」と発言するなど、沖ノ鳥島周辺での台湾漁船拿(だ)捕(ほ)に抗議する最近の対応を彷(ほう)彿(ふつ)させる強硬姿勢を示したものの、9月には「特別パートナーシップ」を発表し、日台関係の強化に乗り出した。

実務関係は大きく進展

 馬政権下の2期8年で日台が窓口機関を通じて結んだ取り決めは28本で、1972年の断交後に結んだ取り決めの4割以上に上る。中でも、投資取り決め(2011年)、航空取り決め(日台オープンスカイ、同年)、漁業取り決め(13年)、租税取り決め(15年)など「内容の重い」(日台関係者)ものが多い。

会員限定記事会員サービス詳細