私はかつて都知事在任中に日本を核にしたアジアの大都市のネットワークなるものを作り出した。その組織を通じて防災や医療の知識を交流させるというのが建前だったが、本音は幾つかの都市が政府に呼び掛け協力してアジア製の中小型の旅客機を作り出すという魂胆だった。百三、四十人を乗せる中小型の旅客機は世界の中でのいわば隙間製品でその有効性は極めて高い。かつて日本はYS11というエンジンをのぞけば全て日本製の旅客機を作り出し南北に長く幅の狭い国土に合わせて極めて有効に機能させていたが、それに乗じてアセアン諸国への売り込みを試みたが、日本の航空機産業の台頭を恐れたアメリカの謀略によって潰されてしまった。その当時私の親友で後に商社丸紅の社長にもなった鳥海がインドネシアの丸紅の支店長を務めていてアメリカの航空会社の幹部たちが現地に乗り込みあらゆる画策を講じて日本機の売り込みを封じた実態を教えてくれたものだった。
アメリカは太平洋戦争の緒戦における日本の軍用機の性能に怯(おび)えて彼らの国是として、以後日本の航空機産業を徹底して潰しにかかってきた。しかしその一方、航空機に関する日本の技術収奪には飽きることがない。最近ボーイングが開発中の新型大型旅客機の胴体の大半は日本製のカーボンファイバーで出来上がっているがそれをアメリカに運ぶための巨大特殊な輸送機までを作って現地に運んでいる実態だ。現にボーイング社の社長も、「この新型機はメイドインアメリカではなしにあくまでメイドウイズジャパンだ」と明言している始末。