【動画付き】幻の爆撃機「富嶽」の巨大ラジコンがついに大空を舞った! 中島飛行機ゆかりの群馬・太田で元エンジニアらが苦労の末に…(1/3ページ) - 産経ニュース

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幻の爆撃機「富嶽」の巨大ラジコンがついに大空を舞った! 中島飛行機ゆかりの群馬・太田で元エンジニアらが苦労の末に…

【動画付き】幻の爆撃機「富嶽」の巨大ラジコンがついに大空を舞った! 中島飛行機ゆかりの群馬・太田で元エンジニアらが苦労の末に…
【動画付き】幻の爆撃機「富嶽」の巨大ラジコンがついに大空を舞った! 中島飛行機ゆかりの群馬・太田で元エンジニアらが苦労の末に…
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 先の大戦で名機「隼」や「疾風」を製造、米軍の空襲目標にもなった当時、世界有数の航空機メーカー、中島飛行機が米国爆撃を想定して構想しながら敗戦で日の目をみなかった幻の爆撃機「富嶽」。B29の2倍という当時、破格のスケールの爆撃機を起源とした旅客機タイプの大型ラジコン模型が15日、中島飛行機ゆかりの群馬県太田市の尾島RCスカイポートに見参、愛好家らが見守る中、ダイナミックな飛行を披露した。

 中島飛行機は、1917(大正6)年から1945(昭和20)年まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカー。エンジンや機体の開発を独自に行い、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、大戦終結までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーとされた。創業者は中島知久平(1884~1949年)。戦後、GHQにより解体され、自動車部門として現在の富士重工業が伝統を引き継いでいる。

 「富嶽」は、中島知久平が大戦中に米軍のB29の2倍の大きさの爆撃機を構想し、米国本土の直接爆撃を目的とした爆撃機。極秘に設計が進められたが戦局悪化で製造されなかった。爆撃機とともに旅客機、輸送機の3種類あり、設計図が残されていた。これをもとに地元に残る元エンジニアらが結成した「富嶽を飛ばそう会」(正田雅造会長)がラジコンを製作し、地元の大空で飛行させてきた。