【蜷川幸雄さん死去】「俺は川口っ子」故郷愛した偉才 昨年10月に本紙取材(1/2ページ) - 産経ニュース

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蜷川幸雄さん死去

「俺は川口っ子」故郷愛した偉才 昨年10月に本紙取材

2015年10月、80歳の誕生日を前に本紙のインタビューに応じる蜷川幸雄さん(川峯千尋撮影)
2015年10月、80歳の誕生日を前に本紙のインタビューに応じる蜷川幸雄さん(川峯千尋撮影)

 「世界のニナガワ」と評され、12日に死去した演出家、蜷川幸雄さん(80)の演劇人生の原点には、生まれ育った「職人の町、川口」と埼玉の風景があった。平成18年には彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市)の芸術監督に就任し、県を晩年の芸術発信の地に選んだ蜷川さん。昨年10月には80歳の誕生日を前に本紙のインタビューに応じ、精力的な活動の根底に息づいていた故郷への思いを語っていた。

 「川口から一番影響を受けたのは、言葉が直截的なことだね。工場じゃ火が飛んだりするから、間接的じゃ間に合わない。『危ねえぞ』『まぶたを閉じるな』とか。直截的なのは、自分の言葉にも演出にもあるだろうな」

 昨年10月1日、蜷川さんは鼻に酸素チューブを通した姿ではあったが、その話しぶりはエネルギーにあふれていた。鋳物工場とそこで働く職人たちに囲まれて成長し、40年間を過ごした川口。晩年も「赤羽から鉄橋を渡って埼玉に来ると溶鉱炉があって、火がボーッと上がっている。それを見ると、川口に帰ってきたなって感じがするね」と、かつての町の活気を思い起こさせる景色を愛していた。