5月26、27日に伊勢志摩サミットが開催される。8年ぶり6回目の議長国として、日本はどのような役割を果たすべきか。1975(昭和50)年の第1回ランブイエ(フランス)サミットと比較しながら、歴史的な視点から考える。
場違いだった三木首相の言動
第1回サミットはフランスと西ドイツ(当時)が主導する欧州先進国の首脳会議として構想された。主要議題は石油危機後の世界経済の再建策だった。欧州諸国は対日警戒心が強かった。それでも日本に招請状が届く。経済的な先進国協調を進める上で日本の存在は無視できなかったからである。
ランブイエに到着した日本代表団は困惑する。ランブイエ城内で行われる首脳会議は首脳同士の議論の場だった。中に入れるのは1つの国につき5人までと制限された。ジスカールデスタン仏大統領やシュミット西独首相が激しくやり合う中に日本は入っていけるのか。随員の宮崎弘道外務省経済局長(当時)や吉野文六外務審議官(当時)、個人代表の牛場信彦氏といった戦後経済外交のプロフェッショナルたちの力量が試されることになった。