産経抄

日本のレコード会社は当初冷ややかだった…世界的音響作家の冨田勲さんを追悼する 5月10日

 「画家はパレットの上で自分だけの色を調合できる。音楽の場合は、バイオリンなど楽器の固有の音色に縛られる。自分だけがイメージする音で作曲できないだろうか」。冨田勲さんは、代々医師の家に生まれた。慶大文学部では美学美術史を専攻している。回り道して音楽家になったからこそ、生まれた発想だろう。

 ▼長年の宿題を解決してくれたのが、電子音楽機器であるシンセサイザーだった。すでに37歳、売れっ子の作曲家だった冨田さんは早速、アメリカから取り寄せた。値段は、周辺機器を含めるとなんと2000万円もした。

 ▼届いたのはいいが、まず使い方がわからない。何を基準にして、新しい音を作り上げればいいのか、途方にくれた。闇夜にたった一人小舟に乗って、海に出ていく。孤独感にさいなまれ、こんな夢を何度も見たという。

 ▼1年半かけて完成させた曲に対して、日本のレコード会社は冷ややかだった。注目されるようになったのは、アメリカのヒットチャートの上位に入ってからである。音響作家としても世界的に知られた冨田さんが、今月5日、84歳で亡くなった。

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