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加藤登紀子(72)=歌手=「3人の幼子を抱えて満州から命からがら引き揚げた母から学んだことは…」

 女にはつれなくて、男の情にあつい。これも(高倉)健さんかな。昔、拘置所にいる彼を思って作った「ひとり寝の子守唄」(昭和44年)を聞かせたときも「こんな寂しい歌はいやだ」ってプイッと部屋を出ていってしまった。ホントは泣いちゃったのかもしれませんけど。

 結婚するとき、父(幸四郎さん)が私に言ったんですよ。「オレみたいな男と結婚したお母ちゃん(淑子=としこさん)はえらい苦労しよった。お前も同じ道、歩むんやな」って。そういえば、思いや侠気(おとこぎ)は父と似ていたのかも。

 〈平成14年、がんを再発した藤本さんは58歳の若さで亡くなる。最期は「もういいだろう」って自ら酸素マスクを外したという〉

 しばらく歌えなかった。ラブソングも全部、永訣(えいけつ)の歌になってしまいそうでね。彼との思い出がまとわりついてくるんですよ。3年たって、彼への思いをアルバムに託して出したときにやっと立ち直れたかな。「運命の人」だからしようがないわね。

命が終わっても歌は消えない

  〈登紀子さんの歌には「強いメッセージがある」と言われてきた〉

 昭和43(1968)年の東大卒業式ボイコット闘争で、ジーパン姿で座り込みに加わったときに、加藤登紀子であることから逃れられなくなったと思う。もう一つの転機は(獄中)結婚かな。これはもう、どうしようもない(苦笑)。私のボディーガードを自任する永六輔さんは、芸人というのは元来、お客さんあってのものだから、旗幟(きし)鮮明にしないほうがトク、その範囲で自分を発揮すればいいのであって、あまり生身で動いたりするのは心配だなんて、よく忠告してくれました。

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