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加藤登紀子(72)=歌手=「3人の幼子を抱えて満州から命からがら引き揚げた母から学んだことは…」

 父は、お酒が好きで、歌が好きで、何より人間が大好きな人。戦後、引き揚げてきて、レコード会社に勤めたり、興行師になったり、ロシア料理のレストランを始めたり…どんどん何かをおっ始める、怒濤のように切り開く、そして家族を路頭に迷わせる(苦笑)。

 母(淑子=としこさん、101歳)は、いつも父の「男のロマン」の尻拭い役。給料は飲み代に消えちゃうし、突然、引っ越すといい出したり。母の世話にならないと宣言していたレストランも結局は母が切り盛りすることに。母は気丈で凛(りん)としていて、わが家の船長役。沈めるわけにはいかないからがんばる。母がいなければ、ウチはとっくに家庭崩壊していたでしょうね。ときに壮絶な夫婦げんかもしましたけど、母は「結構、面白かったわよ」って。

 〈歌手になるきっかけをつくったのも父親だった。幸四郎さんはハルビン時代、イタリアからきたプロのバリトン歌手に個人レッスンを受けていたほど歌が大好き。戦後は京都で新人歌手を養成する歌謡学院を主宰、小学生だった登紀子さんはその童謡部に通った。そして、東大3年のとき、アマチュアのシャンソンコンクールに父が勝手に応募してしまう〉

 昭和39(1964)年、東京オリンピックの年でした。優勝賞品がヨーロッパ旅行。それにつられたんですよ。だって、個人の海外旅行が自由化されたばかり、簡単に外国へ行ける時代じゃなかったですからね。

 でも、最初の年はピアフの歌を歌って審査員からダメ出しをされ、結局4位。次の年(40年)は父と必死で作戦を練り、「(ピアフのような)大御所の歌はやめよう」となった。そして、当時、流行していたフレンチポップスのような曲を選んで優勝、ヨーロッパ旅行を楽しんだ後に、歌手デビューが決まったのです。だから私の場合、父に「ハルビン発パリ行き」の列車に乗せられたという感じかな。

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