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加藤登紀子(72)=歌手=「3人の幼子を抱えて満州から命からがら引き揚げた母から学んだことは…」

 〈ピアフもまた戦争の時代をたくましく生き抜いた女性だ。ナチス・ドイツの占領下のパリ。既に人気歌手だったピアフは、ひそかにレジスタンスと連携して、捕虜のフランス兵を逃がしたり、ユダヤ人のピアニストと同棲し、かくまったり。「20世紀最高の歌姫」とたたえられ、華麗な恋愛遍歴や酒・事故・病気にまつわる壮絶な生涯は有名だが、こうした戦時下の抵抗活動はあまり知られていない〉

 ピアフが1963年に47歳で亡くなったとき、私は19歳でした。恋に恋する多感な時期。20歳で初めて出場したシャンソンコンクールでピアフの「7つの大罪」を歌ったのです。すると審査員から「あなたのような幼い顔にピアフはまだ早い。男心はつかめないな」って、コテンパンにやられました。同時に私は、いわゆる和製シャンソンに違和感を持ち始めていて、いつか自分の訳で、ちゃんとピアフを歌えるようになりたいな、って思ったのです。

 それから、ピアフの生涯を改めて調べてみた。戦争を生き抜いた強さ、晩年の奇跡のような輝き…。ピアフは苦難の時代でも前を向き、晴れ晴れと、そして思い通りに生きた。その生き様(ざま)が母と重なるんですよ。ピアフ100歳、引き揚げから70年。私が年を重ねたからこそ表現できるピアフがある。今こそ「ピアフの物語」を歌いたい。

夢とロマンで路頭に迷わす父

  〈平成4年、父、幸四郎(こうしろう)さんが82歳で亡くなったとき、遺骨をスンガリー(松花江)に流した。登紀子さんの生まれ故郷で、両親がこよなく愛したハルビン(現中国東北部の都市)を流れる川である。ロシアの専門家を養成する哈爾濱(ハルビン)学院出身の父の夢は「ハルビン発パリ行きの列車に乗る」ことだった〉

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