朝鮮大学校 60年の闇(中)

美濃部亮吉都知事が「援護射撃」 慎重論押し切り学校認可 金日成氏への手土産

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 金一族を支える同大を後押ししたのが当時の東京都知事、美濃部亮吉だ。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者によると、社会主義者を自任する美濃部は46年の秋、訪朝して金日成と2回も会談している。美濃部は一連の会談で社会主義下の平壌の現状を引き合いに出して、「資本主義の負けは明らかである」と断じたという。

 このとき、美濃部は43年に政府・自民党の慎重論を押し切って、同大を各種学校として認可した実績も手土産として持参した。各種学校として認可され、同大は固定資産税の減免措置など財政的なメリットを享受することになった。

 認可前の同大は34年に東京都小平市に移転する際、トランジスタラジオ製造工場の建設と偽装して、周辺住民の反対運動を封殺。さらに朝鮮総連は「民族教育は基本的人権だ」「学術研究の機会を奪うな」と主張して、認可実現に向けた大キャンペーンを展開。これに美濃部が応じたのだ。

 金日成は51年、同大の代表団と平壌で面談すると、「朝鮮総連が敵と堂々と戦えるのは、基地である朝鮮大学校を通じ、絶え間なく幹部を養成し続けているからだ」と満足げだったという。美濃部の援護射撃で同大の財政が安定し、結果的に総連幹部の育成が進んだ。