ニュースな街

120万部売れた鉄腕アトムのソノシートはこうして生まれた…トキワ荘跡で聞いた手塚治虫ら漫画家の秘話 東京・南長崎 

【ニュースな街】120万部売れた鉄腕アトムのソノシートはこうして生まれた…トキワ荘跡で聞いた手塚治虫ら漫画家の秘話 東京・南長崎 
【ニュースな街】120万部売れた鉄腕アトムのソノシートはこうして生まれた…トキワ荘跡で聞いた手塚治虫ら漫画家の秘話 東京・南長崎 
その他の写真を見る (1/8枚)

 手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫ら著名な漫画家が無名時代に住んだアパート「トキワ荘」。漫画家の梁山泊とも呼ばれ、夢を語りあった様子は、手塚らの「トキワ荘青春物語」、石ノ森章太郎の「トキワ荘の青春」、藤子不二雄の「トキワ荘青春日記」などの漫画、梶井純の「トキワ荘の時代」などの小説、さらに市川準監督の映画「トキワ荘の青春」など多くの作品で紹介されているので、名前はご存じかもしれない。今、トキワ荘を街おこしに利用したプロジェクトが地元で進められている。

■才能を認められると入居できた

 トキワ荘は、池袋から西武池袋線で1駅の椎名町駅からほど近い場所にあった。1952年に建設された木造2階建てアパートで、4畳半の部屋が10室。上京した手塚が編集者に誘われて入居したのが漫画家が集まるきっかけといわれている。手塚は1年半ほどしかいなかったが、やがて「スポーツマン金太郎」などで知られる寺田ヒロオ(1931~92年)が若手漫画家らに切瑳琢磨しようと呼び掛け、入居させたようだ。

 後の著名漫画家が偶然集まったのではなく、入居できたのは、それだけの才能が認められたいうことだろう。貧しいながら、漫画に青春をかけ、締め切りが近づくと手伝いあったり、原稿が落ち(締め切りに間に合わない)そうになると、代わりの原稿を提供したりしていた。

会員限定記事会員サービス詳細