日本列島災害実録

英船ノルマントン号の沈没(下)日本人を船倉に閉じ込めた疑惑は晴れず…再審で船長有罪も不満は募る

【日本列島災害実録】英船ノルマントン号の沈没(下)日本人を船倉に閉じ込めた疑惑は晴れず…再審で船長有罪も不満は募る
【日本列島災害実録】英船ノルマントン号の沈没(下)日本人を船倉に閉じ込めた疑惑は晴れず…再審で船長有罪も不満は募る
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英国船ノルマントン号沈没で船長らと日本人乗客らの生死を分けたのは何か。日本人乗客が死亡している以上、真相に迫るにはドレーク船長らの証言を手がかりにするしかない。当時、日本と欧米諸国の間には江戸時代末期に幕府が結んだまさしく「不平等条約」があり、英国人の裁判については「領事裁判権」があり、日本人の手で裁くことができなかった。海事裁判は、明治19(1886)年11月1日、在神戸英国領事のジェームス・ツループ氏が判事長となり、別の船の船長、ジェームス・ローガン氏、ウィリアム・アンドリュウ・ガルランド氏が陪席して行われた。(原田成樹)

ドレーク氏は宣誓後、判事の審問に答える形で次のように陳述した。

「自分は10月23日午後6時30分、横浜を解●(=糸へんに覧)(出港)し、進行中の24日午前6時40分ごろ、御前崎(静岡県)の灯台より約14海里(約26キロ)沖を航行していた。船は西南西の方角に、速力9ノット半(時速約17キロ)で進んでいたが、同日午後6時から南西の方向に変えた。このときは、紀伊大島沖まで30海里(約55キロ)のところにいたと信じていた」

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