2011年12月28日、前日に降り出した雪は、金正日(キム・ジョンイル)の告別式が始まる午後になってもやまなかった。霊柩(れいきゅう)車が通る沿道は、泣き崩れる市民で埋め尽くされていた。「将軍さま、行かないで!」と叫びながら雪に覆われないようにとコートを脱いで霊柩車が通る道に敷く者もいた。
「追悼行事は100日以上続き、幹部らは職場で寝泊まりしました」と元貿易機関幹部の金哲雨(チョル=仮名)は説明する。「金正恩(ジョンウン)から『外に出て人民と一緒にいろ』と言われたからです」
年明けの1月7日、金正恩は朝鮮労働党や朝鮮人民軍幹部らに直筆の手紙を送った。「人民は寒さに震えながら外で将軍さまを悼んでいるのに、幹部らは暖かい所で椅子に居座っているではないか」と厳しい言葉がつづられていた。
党第1書記就任後の12年5月には、視察先の遊園地で、自ら雑草をむしりながら、「従業員にはこれが見えないのか!」と叱り飛ばした。国営メディアは「人民へのサービス精神がゼロだ」と管理者らを叱責し、休園を命じたと報じた。
哲雨は「私たちは、新しい指導者が『何かを変えようとしている』という意気込みを感じました」と振り返る。
脱北を図った逮捕者の子供まで招待
「金正恩は、父の金正日とは完全に違うタイプの指導者だ」。ロシア外交官として長く北朝鮮に駐在した研究者のゲオルギー・トロラヤはこう分析する。