江戸時代中頃に切り出され始めたとみられる千葉県の鋸山(鋸南町、富津市)一帯の房州石は、幕末から明治にかけての急速な近代化で需要が増えた。山の麓にある金谷港(富津市)から運ばれ、横浜港や横浜市の外国人墓地の坂の一部など、神奈川、東京方面で多く見られ、皇居のお堀にも使用されている。採石は現在は行われていないが、金谷では歴史を活用した町づくりが現在も進んでおり、入山者は増加傾向にある。
山の「第二の人生」
鋸山では明治から昭和の初期ごろまで、1本80キロほどの房州石が年間最大56万本も切り出されていた。県立中央博物館(千葉市中央区)地学研究科の高橋直樹主任上席研究員は「鋸山の石は火山灰が固まった凝灰質砂岩で、房総半島が海の中にあったことも分かる。粒子の模様が特徴で、赤い筋の入ったものは特に高価だった」と話す。房州石は、近年でも新たに使用地が見つかっているという。