日本列島災害実録

英船ノルマントン号の沈没(上)白人船長らはなぜ日本人乗客25人を見捨てたのか…

ノルマントン号沈没事件の海事裁判を報じる明治19年11月8日付の時事新報
ノルマントン号沈没事件の海事裁判を報じる明治19年11月8日付の時事新報

 明治19(1886)年10月24日午後7時ごろ、横浜港から神戸港へ向かっていた英船ノルマントン号(1533トン)が和歌山県大島沖で暴風に流され、潮岬の暗礁に座礁し、沈没した。乗組員39人のうち水夫12人と日本人乗客25人が溺死したが、船長と乗組員26人ははしけ(救命ボート)に乗り移って生還した。乗客を溺死させながら船長らが生存するというと、死者・行方不明者300人以上を出した2014年4月の韓国フェリー「セウォル号」事故をほうふつとさせる。沈没時は一体、どういう状況だったのか。「ノルマントン号事件」とも呼ばれる日英の国交問題にもなった大災害を、当時の新聞記事から振り返る。(原田成樹)

 時事新報は、転覆があった日から6日後の30日付で報じている。「ノルマントン号 同船は本日の電報に見ゆるごとく紀州沖にて沈没したるよしなるが、電報には乗組員14名のほかは残らず溺死せしとあれども横浜よりの別報に乗組員にはけが人なしとあり、いずれの事実なるや未詳ならむ」。まさに速報のみ突っ込んだ形だ。

 翌11月1日付になり、ようやく全貌が見えてくる。

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