都市を生きる建築(61)

市民が残した大阪の象徴…大阪市中央公会堂

【都市を生きる建築(61)】市民が残した大阪の象徴…大阪市中央公会堂
【都市を生きる建築(61)】市民が残した大阪の象徴…大阪市中央公会堂
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 水面に映え、人々が心を寄せる大阪市中央公会堂。しかし、岩本栄之助という一人の人物がいなければ、この大阪のシンボルも無かった。

 岩本は1877(明治10)年に大阪に生まれ、29歳で両替商の家督を継いだ。すぐに株式仲買商として才覚を発揮。1909年には民間の実業家からなる渡米実業団の一員に加わった。アメリカで社会的成功者が公共的な事業に財産を投じている実情に感激し、帰国後、大阪市に100万円の寄付を行うと発表。現在の貨幣価値でいえば数十億円の巨額である。目的は人々に役立つ公会堂の建設と定められた。

 建設にあたっては、当時最高の人材が集められた。建築界の重鎮・辰野金吾を建築顧問とし、気鋭の建築家17名に提案を求めた。1912年に提出された13の案は公表されていて、高くそびえる塔を持つものあり、和風と洋風の折衷を試みたものあり、これが建っていたらと想像するのも楽しい。選ばれた案は提出者中の最年少、29歳の岡田信一郎によるものだった。

 敷地は隣が川なので、遠目からの眺めが半永久的に確保される。この長所でもあり難点に対して、大アーチを中心とした構成で答えを出したのが、岡田案の特に優れた点だ。1918(大正7)年に完成した公会堂は、岡田の原案をもとに辰野らが設計を行った。そのために原案の華麗さが抑えられ、辰野らしい親しみやすさが加わったが、伸びやかな大アーチを中心に立体が取り付いたような構成は引き継がれた。これが360度どこから見ても絵になる多面性と、東側正面から人々を迎え入れる方向性とを両立させている。