竹島を考える

韓国に洗脳された鳩山氏、日本を貶めないため19世紀を引きずる中韓朝露とどう付き合うか 

昨年8月に訪韓し、抗日の象徴とされる刑務所跡地で膝を屈する鳩山元首相。洗脳は今も続いてる
昨年8月に訪韓し、抗日の象徴とされる刑務所跡地で膝を屈する鳩山元首相。洗脳は今も続いてる
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日本政府の近隣諸国に対する外交姿勢は、戦前と戦後で大きく変わった。戦後の日本は、竹島問題や拉致問題など難問題は先送りして、戦略的な対応を怠ってきたからだ。歴史教科書問題に端を発した「近隣諸国条項」や慰安婦問題に伴う「河野談話」、竹島問題と関係の深い「日韓漁業協定」と尖閣諸島問題がらみの「日台漁業取り決め」などは、そうした姿勢によって生じた負の遺産である。近年、韓国や中国、それに北朝鮮が過去の歴史を口実に無理難題を言い募るのは、それだけ日本外交が、付け入るすきを作ってきたことの裏返しだといえる。

歴史的事実に対し無頓着だった朝鮮半島

明治政府は、江戸幕府が欧米列強と結んだ不平等条約から逃げることなく、果敢に条約改正に挑み、列強と肩を並べるべく「西洋化」の道を歩んできた。

それは同時に、ロシアが進める南下政策に抗して、東アジアの安寧を保つための歴史でもあった。現にロシアの南下政策は、清朝にとっても焦眉の急だった。

ロシアは1860年、清朝と「北京条約」を結んで沿海州を略取すると、「東方を支配する町」としてウラジオストクを建設し、朝鮮半島にも食指を伸ばし始めた。

この歴史的事実に対して、朝鮮半島だけが無頓着であった。当時の朝鮮は宮中と府中(政府)の区別のない、平安時代の摂関政治さながらの政治体制で、売官売職が常となっていた。そのため、朝鮮の農民たちは地方官の収奪に喘(あえ)ぎ、統治者らも海外の情勢には疎かった。

清から朝鮮にも伝えられた「同心合力」

その朝鮮で、「壬午の軍乱」や「甲申政変」が起こり、日清両国は事後処理などのため1885(明治18)年に「天津条約」を締結するが、その際、清側全権の李鴻章は「願クハ将来貴国ト我ト同心合力シテ朝鮮ヲ他人ニ割拠セラレサル様」にしたい、と希望した。

この「同心合力」という発想は、『朝鮮策略』を著した清朝末期の外交官・黄遵憲にもあった。日本に滞在していた黄は、次にロシアが狙うのは必ず朝鮮だとして、朝鮮は「中国と親しみ、日本と結び、美国(米国)と連なり、以て自強を図る」ことが、朝鮮の採るべき方策とした。

その『朝鮮策略』は1882(明治15)年8月、日本を訪れていた朝鮮の政治家、金宏集に黄から直接渡され、朝鮮に伝えられた。

理不尽な過去の清算要求には即座に反論を

だが朝鮮の知識人らは、「日本と結ぶ」とした黄の『朝鮮策略』を拒絶した。理由は、「日本ハ我国ノ百世ノ讐(あだ)ナリ。結ブベキノ義ナシ」。「壬辰(文禄の役)ノ宿怨、イマダ平カナラズ」とする過去の歴史にあった。

しかし皮肉なことに、ロシアの南下政策はその後、ロシアを継承したソ連によって実現した。ソ連は、日本の敗戦と前後して朝鮮半島に進駐し、南樺太や千島列島と北方領土に侵攻したからである。