「われわれは既に核を持っているではないか。核実験をすれば、中国まで背を向ける」という成沢の訴えを、正恩は「われわれの生きる道は、核しかない」と一蹴したと伝えられる。
10大原則に仕掛けた“わな”
13年6月には、決定的な亀裂を生む騒動が持ち上がる。秘書室からの報告書に目を通した金正恩が、自分が自由に使える秘書室の資金が大幅に削られていることに気づいた。
「何でこんなに少ないんだ。令監(ヨンガム=金正日)のときはどうだった?」。待ってましたとばかりに担当者が答えた。「将軍さまは党39号室に資金を集め、将軍さまの革命事業に使わせました。いまは、行政部が管理し、勝手に使っています」
張成沢は、良質の石炭を中国に輸出し巨利を生んできた軍傘下の54部の事業を行政部の管轄下に移した。しかも、収益を39号室には上げず、行政部傘下の会社にプールしていたのだ。
激高した正恩は「いますぐ、行政部の事業を全て元に戻せ」と指示した。直属の護衛司令部(護衛総局)要員が54部の事業所の一つに接収に向かったところ、現場責任者は「1号同志の承認を取りつけてこい」と追い返そうとした。