8月には、50人を超える代表団を率いて訪中する。経済特区の共同開発に関する会合への出席という名目とは別に、10億ドル(約1100億円)の緊急借款と投資拡大を中国に頼み込むためだった。
中国政府は手厚くもてなす。金日成(イルソン)や金正日が泊まった「釣魚台国賓館」18号楼を成沢に提供。国家主席の胡錦濤や首相、温家宝との個別面談を設けた。17日の面会で、温は「借款問題は、核問題が進展した段階で話し合いたい」とし、投資拡大についても「法整備が先だ」と注文をつけた。
通訳だけを介し、1時間以上行われた胡との密談で、成沢は「場合によっては、核を放棄することもできる」と表明。金正恩に代えて異母兄の金正男(ジョンナム)を擁立する可能性にも言及したとされる。
香港メディアが後に暴露したところでは、会談内容は、中国共産党最高指導部メンバーだった周永康=国家機密漏洩(ろうえい)罪などで無期懲役=から北朝鮮に漏れた。
成沢の言動は、正恩を刺激するのに十分だった。当時の状況を知る護衛総局の元幹部は「12年秋ごろから、正恩は重要事案を叔父とは相談しなくなった」と証言する。
成沢の言動を打ち消すように、12月に事実上の長距離弾道ミサイルを発射し、翌年2月には、3回目の核実験に踏み切る。