ソ連政府は当初、事故発生を公表しなかったが、北欧諸国が放射線を検出した後にようやく認めた。しかし、ソ連は事故に関わる多くの情報をその後も隠蔽し、その陰で苦しめられたのがリクビダートルたちだった。
チェルノブイリ同盟・ロシア代表のグリシン氏(64)によると、91年3月にソ連政府が元作業員への支援を決定するまで、彼らは何の補償や恩典も受けられなかった。
「彼らの生活を奪っておきながら、病気になれば事故とは関係がないと言い張る。まさに犯罪行為だった」と、グリシン氏は当時のソ連政府の対応を糾弾する。
同氏によれば、彼らがチェルノブイリからの帰任後、次々と病気になっていく一方、当局から何の支援も得られない実態を見て、作業参加を拒否する者が相次ぎ現れ始めたという。
ソ連崩壊で生まれた「格差」
しかし、91年12月にソ連は崩壊。その構成国が独立し、リクビダートルへの対応も各国政府の手に委ねられた。今年4月にキエフで行われたフォーラムで、国際チェルノブイリ同盟のマカレンコ代表(66)は各国の支援に「格差が生まれている」と指摘した。