都市を生きる建築(60)

「大阪城天守閣」のもうひとつの歴史 和と洋が対峙する不思議な空間…旧大阪市立博物館

【都市を生きる建築(60)】「大阪城天守閣」のもうひとつの歴史 和と洋が対峙する不思議な空間…旧大阪市立博物館
【都市を生きる建築(60)】「大阪城天守閣」のもうひとつの歴史 和と洋が対峙する不思議な空間…旧大阪市立博物館
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 インバウンドの増加に大河ドラマの効果が加わったのか、昨年度の大阪城天守閣の入館者数は、32年ぶりに記録を更新、1931(昭和6)年の開館以来、過去最高の約234万人に達した。平日に訪れても天守閣前の広場は外国人観光客を中心に賑わい、皆思い思いに記念撮影を楽しんでいる。そんな広場の東側に、玄関の扉を固く閉ざした茶褐色の建物が静かに横たわっている。

 中央に小さな塔を戴く、左右対称の長い両翼をもつ3階建てのこの建物は、天守閣の再興と同じ1931年に、当時の陸軍第4師団司令部の庁舎として建てられた。明治以降、大阪城跡とその周辺は、軍の施設として使われてきた。大阪随一の観光地となった現在からは想像しにくいかもしれないが、市民が立ち入ることのできない場所だったのだ。

 そこにメスを入れたのが、第7代大阪市長の関一(はじめ)。都市計画の専門家として市の近代化を推し進め、御堂筋や地下鉄を整備したことで知られる名市長だ。関市長は1928年に昭和天皇の御大典記念事業として、豊臣秀吉時代の天守閣を市民の寄付で復興して公園にすることを提案、市内全戸に趣意書と寄付申込書を配布して、整備費用150万円を集めた。実はその半分以上の約80万円が、この第4師団庁舎の建設に充てられている。このプロジェクトを実現するには、まず軍に天守閣と公園のための敷地を明け渡してもらう必要があったが、その見返りとして提示されたのが、城内に分散していた軍の機関を集約する、新しい庁舎の提供だったというわけだ。