谷賢一の演劇地獄道(1)

生徒指導室で出会った奇跡

菊池寛「恩讐の彼方に」。この一冊が、新作舞台にもつながっている
菊池寛「恩讐の彼方に」。この一冊が、新作舞台にもつながっている

 現在準備中の新作舞台「演劇」(5月12~29日、東京都北区の王子小劇場。(電)050・5579・6089)が子供と大人の対決を描いた作品なので、やたら中学生の頃を思い出す。周囲の影響もあり、適度に反抗的だった私はくだらない理由で大人と喧嘩(けんか)をしたものだった。そんな大人との抗争の中で、ちっとも興味のなかった私が文学に目覚めた奇跡のエピソードがある。

 当時付き合ってたMちゃんと何となくうまくいっていなかった私はある日、彼女を喜ばせようと一計を案じた。某高校の合格発表日。Mちゃん、どうやら受かったらしい。ここはひとつ、サプライズで喜ばせようと考えた私は、授業をサボって校門前で待ち伏せた。

 おめでとう! するとMちゃん、こう答えた。

 「ダメでしょ、授業サボっちゃ。いい加減にしなさい。早く教室、戻りなさい」

 よ、喜んでくれると思ってたのに! 少年のガラスの心臓は粉々に打ち砕かれた。打ち砕かれたので、「もう授業始まってるぞ」と注意をしにきた数学のS先生をぶん殴った。ムチャクチャなのだが、こちらの心も「ダメだ、もう嫌われた」と、ムチャクチャなのでヤケクソになっており、シェークスピアのリチャード3世よろしく、「俺は悪党になってやる」と荒れていた。ちなみに、リチャード3世も女にモテないので、人を沢山(たくさん)殺して王位を奪った馬鹿(ばか)野郎である。

 生徒指導室にぶち込まれて鍵をかけられ、30分くらい放置された。絶望しつつ激怒しつつ、暇なので本棚の本を何げなく手に取った。ちっとも文学に興味などなかったので、本当にたまたまだったのだ。

 担任のT先生が生徒指導室に現れたのは、まさにその瞬間だった。また怒鳴られる、やれやれだぜ、俺は悪党になってやるぞ、と思っていた私に、T先生は意外な一言を告げた。

 「その本、興味あるんなら持ってきな。いいよ、今日はもう帰れ」

 意味が分からなかったが持って帰り、家で読んだ。菊池寛『恩讐の彼方(かなた)に』という本で、惚(ほ)れた女に贅沢(ぜいたく)をさせようと沢山の人を殺した悪党が改心して社会のために仕事をする、という内容で、ボロボロ泣いた。ごめんなさい、ごめんなさい。そんなつもりじゃ、なかったんだ、と。

 T先生は恐らく、あらゆる事情を察していたのだろう。だから怒鳴らず、蔑(さげす)まず、ただ一冊の本を渡した。今思うと、すごい話だ。そして、悪党の心理の裏側を描き切った菊池寛。

 文学は偉大だ。今もあの出会いには感謝している。=毎月第3土曜日掲載

【プロフィル】谷賢一

 たに・けんいち 昭和57年、千葉県出身。明治大、英ケント大で演劇を学び、劇作家・演出家・翻訳家として活躍。劇団「DULL-COLORED POP」主宰、演劇ユニット「Theatre des Annales」代表。

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