一方、曲の方は「2つのバージョン」に分かれている。1957年に北朝鮮で作られた原曲に近いバージョンと、もうひとつは68年、レコードが突然、発売中止になってしまったフォークルのバージョンだ。
違いはメロディー、リズムの3カ所。わずかな違いだが、聞き比べてみると、かなり印象が違う。
松山が京都の民族学校に通う在日コリアンの友人から朝鮮語の1番の歌詞と楽譜をもらい、よく一緒に歌を作っていたフォークルの加藤和彦らに教えたのが1960年代半ばのこと。
松山は、「(フォークルは)コミカルな歌が多かったから、『こんな歌(南北分断の悲劇を歌った「イムジン河」)もあるよ』って教えたんです。そのとき口頭で伝えたから、マイナーがメジャーになったり、あいまいな部分があったのでしょう」と振り返る。
つまり、民族学校生徒→松山→フォークルと伝わるうちに間違ったらしい。