晩年の金正日(キム・ジョンイル)にとって、唯一の関心事は、自分がいなくなった後の金正恩(ジョンウン)体制をいかに盤石なものにするかにあった。そのためには、息子がいち早く軍部を中心にした暴力装置を掌握するのが何より肝心だと考えたようだ。
2009年に入ると、人事を統括する朝鮮労働党組織指導部を介し、朝鮮人民軍に加え、秘密警察の国家安全保衛部や警察の人民保安省(部)などの部隊に、後継者に忠誠を誓う集会を頻繁に開かせるよう指示。息子を従え、部隊視察にも精力的に出向く。
4月には、正恩とともに北東部、咸鏡北道(ハムギョンプクト)・舞水端里(ムスダンリ)にあるロケット発射場の管制指揮所を訪れ、衛星「光明星2号」打ち上げと称する事実上の長距離弾道ミサイル発射を見守った。
打ち上げ後には「ご苦労」と技術陣をねぎらい、「衛星を邀撃(ようげき)するとした敵の策動に反打撃を加えたのは、わが金大将だ」と軍幹部の前で息子を持ち上げた。しかも「わが大将は、反打撃司令官として陸海空軍を指揮した」と正恩をにわか司令官に仕立てた。
上空を通過するミサイルの落下に備え、迎撃態勢をとっていた日本に「撃ち落とされなかった」ことを指したようだが、荒唐無稽というほかない。
続く5月の核実験も後継者が「指揮」した形にしたとみられている。