ドイツ人俘虜収容所が縁 大阪・大正区で最後の「第九コンサート」 世界的指揮者・西本智実さんがタクト

 第一次世界大戦時、大阪市大正区(当時は西区)にドイツ人俘(ふ)虜(りょ)収容所があったという史実を基に結成された区民合唱団による最後の「第九定期演奏会」が27日、大阪市天王寺区で開かれた。この収容所には、大正7(1918)年にアジア初演となる第九を指揮したドイツ人捕虜も一時期収容されていた。合唱団とゆかりがある世界的指揮者の西本智実さんがタクトを振り、総勢約100人の団員による荘厳な「歓喜の歌」がホールいっぱいに響きわたった。(上岡由美)

大阪にも俘虜収容所

 大阪市大正区には大正3年11月から6年2月まで、「大阪俘虜収容所」があった。日本軍が中国・青(チン)島(タオ)で捕虜としたドイツ兵ら約4700人のうち大阪には760人を収容。この中にはアジアで初めてベートーベンの交響曲第9番(第九)を指揮したヘルマン・ハンゼン氏も含まれていた。

 ただ、収容所といっても「ハーグ陸戦条約」により捕虜らは人道的に扱われ、朝夕2回の点呼以外は労役はなく、娯楽として音楽や演劇、スポーツを行うなど生活を楽しんだという。

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