「命を懸けた対応でも連鎖的な事故を食い止めることができず、社会の信用は失墜した。いわば、津波によって東京電力の過信やおごりは、木っ端みじんに流されたと言っても過言ではない」
東電福島第1原発事故から丸5年を迎えた3月11日、福島第1原発構内の免震重要棟に設置された緊急時対策本部。廃炉作業に当たる約80人の社員とともに、東電の広瀬直己社長の姿があった。
東電に対する地元の視線は厳しく、いまだに避難を余儀なくされている約10万人の「憎しみ」は深まるばかり。広瀬社長の言葉には悔恨の情が深々と刻まれていた。
午後2時46分、広瀬社長は黙とうをささげた後、マイクの前に立った
「福島の事故により丸5年がたった今もなお、大変厳しい避難生活を送っている方がたくさんいらっしゃる。その方々に、改めておわびを申し上げたい」
その様子は、原発構内だけでなく東電東京本社、各支社で中継され、インターネット上でも公開された。
死去した吉田所長を懐かしむ
「ここにいると、5年前に事故の収束作業をしていた様子を思い出す。ちょうど(故)吉田(昌郎)所長がここに座っていて、大きな体に、少し猫背で…。いろいろな指示を出していた記憶が、鮮明によみがえってくる」
広瀬社長は、目の前にある緊急時対策本部の円卓の左手の座席の1つに目を落とし、生々しく当時を振り返った。
広瀬社長は事故後の5年間について、直後の危機的な状況を脱し、汚染水対策や4号機の使用済み燃料の取り出しなどで、「進展が図られた」と一定程度評価した。