北海道新幹線

何度も水没の危機 34人の命奪う 「青函ようやく通った」トンネルマン万感の思い

 異常出水に襲われ、何度も危機が訪れた。最大の危機は、51年5月。作業坑から最大毎分85トンも出水し、トンネル全体が水没しかねない状況に陥った。花田さんと同様、元漁師で同郷の角谷敏雄さん(81)に招集がかかった。

 「トンネルを沈めてはならねえ」。角材を組んでいかだにし、移動式ポンプを運んだ。足がつかないほど浸水したところでは水中に潜って作業した。

 「あの時は戦争だった」

 何よりもつらかったのは、掘削技術のイロハを教えてくれた先輩や、息子のように目をかけていた後輩の3人を事故で失ったことだ。「悲しみ、苦しみ、また悲しみの連続でした」

 58年1月27日。先進導坑が貫通した。亡くなった3人の写真を胸に貫通式に臨んだ角谷さんは涙が止まらなかったという。工事では、3人を含む計34人の命が失われた。

 「新幹線が通らないと意味がないと思っていた。本当にうれしい」と振り返るのは、青函トンネルの掘削に携わり、今も現役のトンネルマンの佐々木龍雄さん(64)。オイルショックによる経済悪化で整備新幹線の着工が凍結されたときはショックを受けたが、念願がかなう日は間近だ。

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