都市を生きる建築(57)

明治の「激動」に出合う遺産…泉布観・旧桜宮公会堂

【都市を生きる建築(57)】明治の「激動」に出合う遺産…泉布観・旧桜宮公会堂
【都市を生きる建築(57)】明治の「激動」に出合う遺産…泉布観・旧桜宮公会堂
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 今も使われている民間の名建築群が大阪の魅力。しかし、改めて、国の重要文化財に指定されている桜ノ宮公園内の泉布観と旧桜宮公会堂に注目したい。明治が日本の革命期だったと分かる大都市の建築遺産として、東京にも横浜にも無い貴重なものだ。

 泉布観は1871(明治4)年に操業を開始した造幣局の応接所として建てられた。デザインは、正式な建築教育を受けた設計者が活躍を始める以前の、明治初期の洋風建築の典型を示している。左右対称で中央に車寄せがあり、手すりの付いたベランダが四方にまわっている。車寄せの上のベランダは一段と広く、他が縦長窓の中、ここだけがアーチ状の出入り口で目を引く。柱の形は古代ローマの建築に由来するもので、この建物ではトスカナ式と呼ばれる形式。こうしたそれまでの日本建築とは違ったスタイルが、役所や学校などの公の施設に用いられ、初めて目にした人々に文明開化を印象付けたのだった。

 現存する大阪で最も古い洋風建築である泉布観も、そんな役割を果たしたに違いない。しかも、本格的なつくりである。壁は煉瓦、柱は花崗岩でできていて、部屋ごとに全部で8つもの暖炉を備えている。照明には当初からガス灯を用いていた。

 「泉布観」の「泉布」とは貨幣の意味。完成の翌年、ここを訪れた明治天皇が命名した。信頼される貨幣の流通は、明治の国づくりの急務だった。1868年、大阪城内外の建造物の造営や維持管理を行う役所の材木置き場などがあった大川沿いのこの地に、巨大な造幣工場の建設が決まった。