東日本大震災5年・文化財は今

(下)常陸太田市・水戸徳川家墓所

 ■無我夢中の復旧 今なお歴史刻まれ

 常陸太田市瑞龍町に悠然とたたずむ瑞龍山。山の入り口にある閉ざされた門の向こうに目を凝らすと、木々の間に立派なお墓が目に入る。この山には普段、登山家も観光客も立ち入ることができない。ここは水戸徳川家墓所-。

 水戸黄門こと水戸藩2代藩主、徳川光圀が瑞龍山を墓所と定め、初代藩主の頼房を埋葬した。以来代々の水戸藩主(当主)や夫人、一族などが葬られ、119基の墓が点在している。儒教の教えを基に光圀公が定めた独自の様式を守り、13代目までは土葬だ。

 平成19年、国指定史跡として登録された。例年、秋に一般公開されている。

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 平成23年3月11日-。震災はそんな長い歴史をもつ山をいとも簡単に揺らしてみせた。同墓所を所有する徳川ミュージアムの徳川真木館長(55)が被災後初めて足を踏み入れたのは、4月25日。徳川館長は当時をこう振り返る。

 「何も考えられませんでした。直さなきゃいけないと、とにかく夢中で…。できることを一つずつ、前に進むことだけを考えていました」

 何も考えられなかったのも無理はない。光圀公の墓も、石垣が崩れる被害が出て、しかも、使われている石は約2千個。県教委文化課によると、瑞龍山は地盤が最大約120センチずれ、最大約25センチ沈下した。そのため墓の土台となる石垣の崩落や墓標の倒壊など、ほとんどの墓が被害を受けたのだ。

 復旧事業が始まったのは平成24年2月。落下した石がどこに位置していたものか、一つ一つ石材調書を作成した。崩れた部分をパソコンを使い3Dで測量し、組み立てをシミュレート。型紙を作ってパズルのように復旧予想図を作った。

 「石垣の修理は3年がかりでしたね。大変な労力でした。山の中なので、小さい重機は使えますが人力に頼るところも多かったので」と徳川館長。工事は28年度いっぱいで完了する。

 「史跡とは歴史の跡。しかし水戸徳川家墓所は今でも使われ、墓所の本質的な機能を有しています」

 市教委文化課の西野保係長はそう説明する。水戸徳川家が続く限り、この墓所には新たな歴史が刻まれ続ける。まさに「生きている史跡」といえる。

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 墓所から数キロ、同市新宿町西山には、光圀公が隠居後に住んでいた西山(にしやま)御殿跡(西山(せいざん)荘)がある。こちらも被災し、壁の亀裂や柱のずれを修復するため、一部を解体して組み直した。昨年3月に工事が終了し、今年3月1日、「国史跡および名勝」に指定された。同時指定は県内では偕楽園に次いで2件目だ。

 徳川ミュージアムによると、TBS系テレビ時代劇「水戸黄門」放映中は最高で1年間に約28万人の観光客が訪れたが、平成27年度は約3万8千人(3月9日現在)にまで減少した。

 西野係長は「光圀公がなぜここに住み、ここで何をしたのか、その精神も含めて景観全体を楽しんでほしい」と、被災から復活した光圀公の理想郷に期待を込めた。(この連載は上村茉由が担当しました)

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