赤字のお仕事

漢字ヲ廃シ洋字ヲ以テ国語ヲ書スル〜国語改良・改革運動の高まり

【赤字のお仕事】漢字ヲ廃シ洋字ヲ以テ国語ヲ書スル〜国語改良・改革運動の高まり
【赤字のお仕事】漢字ヲ廃シ洋字ヲ以テ国語ヲ書スル〜国語改良・改革運動の高まり
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 前回、明治初期に発行された日本語の日刊紙を取り上げた。この連載で足跡を追う市川清流が同じ時期、新たに創刊された新聞に参加したことにも触れた。

 「まいにち ひらかな しんぶんし(志んぶん志)」は、発行所と数字以外全文ひらがな書きが特徴だ。清流はこの新聞の創刊初期に加わった。明治6(1873)年2月に発行を開始し、翌年5月、330番台(号)まで紙齢を重ねた。発行所は「啓蒙(けいもう)社(舎)」。各資料には紙面の文字に扁平(へんぺい)形の活字を使って印刷したとの記述が散見される。

 啓蒙社のあった神田淡路町2丁目は江戸期まで大名屋敷が軒を連ねていたが、明治期には同社の他に共立学校(現開成中学・高校)が創設されるなど学問や文化の発信地となった。現在は平成25(2013)年の再開発でオフィスや店舗、住居、コミュニティーの複合施設「ワテラス」が建ち、地域の新たな中心地となっている。

 「ひらかな しんぶんし」の編集・発行人は近代郵便制度の父として知られる前島密(ひそか、1835~1919年)だ。越後高田藩(現新潟県上越市)出身で、31歳の慶応2(1866)年11月に幕臣前島家の養子となり家督を継いで「来輔(らいすけ)」を名乗った。清流と不思議に縁深く、旧主の岩瀬忠震から英語の学習を諭され、岩瀬の実家である設楽弾正の家臣に数学を学んだ。清流とは10歳以上も年が離れているが、開成所筆記方では同僚だった。

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