浪速風

「もう」でも「まだ」でもない5年

東日本大震災5年 朝日に照らされる南三陸町防災対策庁舎 =11日午前6時43分、宮城県南三陸町(志儀駒貴撮影)
東日本大震災5年 朝日に照らされる南三陸町防災対策庁舎 =11日午前6時43分、宮城県南三陸町(志儀駒貴撮影)

阪神大震災では仮設住宅がちょうど5年で解消された。避難者の流出で減少した神戸市の人口も元に戻った。当時の貝原俊民兵庫県知事は「道半ば」と表現したが、復興の確かな手ごたえがあった。比較しても意味はないが、東日本大震災から5年である。

▶震災3カ月後に訪れた福島県飯舘(いいたて)村を思い出す。阿武隈山地に抱かれた人口6千人ほどの村は、東電福島第1原発の事故によって全村避難を余儀なくされた。無人の村内を「見守り隊」がパトロールしていた。田畑は雑草で覆われ、飼い主のいなくなった牛や犬を見かけた。目に見える震災の爪痕がないのが、かえって不気味だった。

▶「までい」という方言がある。「丁寧に」「手間暇惜しまず」といった意味である。特産の飯舘牛も高原野菜も「までい」に育ててきた。「引っ越しなんかしたことない」という村の人たちが「2年で戻る」と言っていた避難が今も続く。「もう」でも「まだ」でもない5年だろう。