伝える ある震災遺族の5年(4)

津波訴訟を起こした遺族らが集まった 「企業の結果責任を追及する。遺族の輪を広げたい」

 健太さんの名前が入った手作りの竹灯籠を贈った神戸市須磨区の魚住哲也さん(74)も夫妻の気持ちに寄り添う一人だ。平成7年の阪神大震災で自宅にいた母、秀子さん=当時(76)=を失った。魚住さんが言う。

 「震災は時間がたつにつれ風化するというけど、遺族の心の中には苦しみや悲しみはいつまでも残る。21年過ぎた自分の気持ちも変わらへんのやから…」

 常磐山元自動車学校で勤務中に被災し行方不明となった長女、真希さん=当時(27)=を探し続ける大久保三夫さん(63)も「田村さんがいなかったら僕らはきょうここに来ていません」と言い切る。

 日和幼稚園に通う春音ちゃん=当時(6)=を亡くした西城靖之さん(47)も「家族同士思いは一緒。同じことは二度とあってはならない」と力を込める。

 孝行さんが決意めいた表情でフォーラムを締めくくった。「企業、組織の結果責任は追及し、果たしてもらう。遺族の輪を広げ、今後も信念を持って進めたい。大切な命に代わり宣言する」

会員限定記事会員サービス詳細