米海兵隊中佐(現在は笹川平和財団米国の研究員)で、防衛研究所(東京都目黒区)に留学中だったジェームズ・ケンドール氏は震災翌日の3月12日、「横田基地へ行け」と命令を受けた。横田基地には沖縄から海兵隊が集結。「彼らと一緒に仙台へ行け。自衛隊が求める手助けを何でもしろ」
使用不能だった仙台空港を再開させ、救援物資の輸送などを自衛隊との間で調整することが任務だった。宮城県の石巻市や女川町などの被災地を回り、被害状況の把握に努めた。「海岸地域ではあらゆるものが流され、まるで巨大な手で全てが掃き出されたようだった。イラクで見た砂漠のように思えた」
日米合同演習を除いて、米軍と自衛隊員の多くが現場で一緒に活動・交流したことがなく、自衛隊との調整と連絡に当初は苦労した。