伝える ある震災遺族の5年(2)

息子が誇りにしていた東北有数の大企業を相手に訴訟…それは断腸の思いだった

 「息子が誇りにしていた銀行を相手に訴訟を起こすのは断腸の思いだった」

 孝行さんは振り返る。「裁判なんてしても息子は帰ってこない」「どうせ負ける」-。そんな心ない言葉を浴び、東北有数の大企業を相手にする重圧ものしかかった。

 それでも、「声を上げなければ防災対策は改善できない。同じことを繰り返さない良い会社になってほしい」。そんな強い思いが背中を押した。

 《女川支店では地震直後、支店長の指示で従業員13人が2階建て支店屋上(高さ約10メートル)に避難。津波にのまれて支店長ら12人が死亡または行方不明となった。町指定避難場所の堀切山は支店から約260メートル先。同行のマニュアルには堀切山が避難場所と指定されていたほか、21年に同店屋上も追加された。

 26年2月の1審仙台地裁判決は「屋上を超える巨大津波を予見することは困難」と指摘。「支店長の判断が不適切だったとはいえない」として遺族側の請求を棄却した。

 控訴審でも、遺族側は町の指定避難場所だった堀切山に逃げるべきだったと主張したが、27年4月の2審仙台高裁判決も遺族側の控訴を退けた。そして、今年2月には最高裁第2小法廷が1、2審判決を支持、遺族側の上告を棄却。遺族側の敗訴が確定した》

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