あの日 そして5年(6)

《記憶》津波逃れた孤立列車 あの日の「切符」捨てられない

【あの日 そして5年(6)】《記憶》津波逃れた孤立列車 あの日の「切符」捨てられない
【あの日 そして5年(6)】《記憶》津波逃れた孤立列車 あの日の「切符」捨てられない
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高台で津波回避、母待ち続けた数時間

 勉強机の引き出しを開ける。宮城県東松島市の仮住まい。中学2年の大槻陽平さん(14)は中から1枚の切符を取り出した。

 「家が流され、全てをなくした。震災前からの持ち物で残っているのはこの切符しかない」

 捨てられず、避難先が変わっても持ち続けている。

 <23・3・11 14:40>

 切符には発券日時が印字されている。

 5年前のあの日。

■  ■

 東松島市のJR仙石線野蒜(のびる)駅。小学3年の少年は発券されたばかりの切符を手に列車に飛び乗った。週1回、同県石巻市の絵画教室に通う。

 列車はあおば通(仙台市)発石巻行き下り快速(4両)。少年ら60人を乗せ、定刻通りに発車した。

 発券時刻の6分後、大きな揺れに見舞われた。駅から600メートル先で緊急停車する。車内灯が落ちた。乗客は息をのむ。

 乗客の誰かが「野蒜小に避難しよう」と提案した。緊急避難所に指定されている。地元の人らしき男性が「津波が来る。ここにとどまるべきだ」と制止した。

 男性の予言は当たった。50分後、巨大津波が押し寄せた。列車はたまたま高台に止まり、難を逃れた。地震発生が先か後に30秒ずれていたら一巻の終わりだった。野蒜小は浸水し、13人の犠牲者が出たことを後に知る。

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