日本史において天下人と言えるのは、皇族を除けば、蘇我馬子、藤原道長、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして有司専制(ゆうしせんせい)体制を築いた大久保利通あたりだろうか。こうした人々に共通しているのは、堅固な意志、飽くことなき欲望、がむしゃらな野心、縦横無尽の交渉力、強引なまでの政治力、冷酷非情な決断力、何物も恐れぬ胆力、先を読む眼力、鋭い人間洞察力、周囲を引き付ける人間的魅力などである。
しかしここにただ一人、こうした要素のほとんどを持っていない天下人がいる。強いて挙げれば「人間的魅力」くらいだが、それさえも偶然の産物にすぎない。
その男の名は足利尊氏。室町幕府初代将軍である。
尊氏には、1つ違いの弟の直義(ただよし)と家宰の高師直(こうのもろなお)という2人の優秀なブレーンがいた。彼らの助言により、尊氏は実にタイミングよく鎌倉幕府を裏切り、これまた実にタイミングよく後醍醐帝と手を切り、そして実にタイミングよく直義の排除に成功し、室町幕府を安定に導いた。
それなら運だけじゃないだろう、と仰せの向きもいるかもしれない。だが『太平記』などによると、これらの決断を支えたのは、弟の直義と高師直といったブレーンなのだ(直義の排除については、嫡男の義詮(よしあきら))。
すなわち草創期の室町幕府は、直義と高師直の2人の微妙な勢力均衡の上に尊氏が乗っている状態であり、2人が尊氏を奪い合うことで、尊氏に存在意義が生まれるという不思議な状態にあった。
もっとも尊氏本人は肉親である直義よりも、足利家の家宰として重代相恩の間柄にある高師直に肩入れしており、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)と呼ばれる内訌(ないこう)は、尊氏・師直組と直義の争いになっていく。
また尊氏が40代になってからだが、2代将軍となる嫡男の義詮の成長も大きかった。義詮は並以上には優秀だったらしく、直義によって高師直一族が滅亡させられた後、尊氏に成り代わるようにして、直義の排除に努めている。
つまり尊氏は、直義、高師直、義詮といった自らの代貸しのようなブレーンなくしては、はなはだ心許(もと)ない男だったのだ。言い換えれば尊氏には、彼らに「自分が支えなくては」と思わせる人間的魅力があったのだ。