≪満州の地に求めたはけ口≫
人口増に対する第二の解決策は、移民や植民で、これがより文明的な方策と思われた。そもそもアメリカは欧州からの移民で成立し、シベリアもロシアの植民で開発された。いずれもコロナイゼーションである。大英帝国は七つの海に植民地をひろめた。
だが遅れて国際社会に参入した日本には移民の渡航先も限られていた。太平洋地域ではオーストラリアは白豪主義で日本人を受け付けない。米国は1924年の排日移民法で日本人を締め出し、わが国民感情をいたく刺激した。その7年後の1931年、関東軍が独走して事変を起こし、満州国を建設するや日本の新聞や国民世論がそれを支持したのは、増大する人口のはけ口を満州の地に求めたからである。万里の長城の外であってみれば、ロシアが沿海州を勢力圏に収めたと同様、中国本土ではないとして侵略意識は薄かった。