前日夜半に、3日間の耐熱行軍から戻ったばかり。大雨に降られ、くたくたに疲れて寝床に入ったところを「非常呼集」の怒声でたたき起こされた。
「新京が空爆を受けているらしい」。にわかには信じられなかった。満州はほんの少し前まで空襲もめったになく、食料や物資欠乏がひどい内地よりも安全で快適な土地だったのだ。軍官学校に残っていたのは、約8カ月前に満州へ来た7期生の日系と満系(中国人)の生徒らだけ。1期上の日系6期生は約1カ月前に陸軍士官学校などへ進むため内地へと戻っている。
小池は、「ソ連参戦の情報を私たちはまったく知らなかった。戦況の悪化で関東軍主力が南方へ転出させられているとは聞いていたけど、日本が負けるなんて思いもしなかった」
満州と彼らの運命は暗転する。実戦経験など皆無の少年たちは、いきなりソ連軍の大部隊を迎え撃つ最前線へと放(ほう)り出された。塹壕(ざんごう)掘りを命じられ、「戦車が攻めてきたら爆雷を抱いたまま飛び込むのだ」と…。死ぬことを前提にした特攻作戦である。もはや届くはずもない遺書を書き、抽斗(ひきだし)にしのばせた。
一方、日本の敗色濃厚を察知した満系の軍官・生徒は逃亡や反乱に動き出す。新京の満州国軍は、空中分解したまま終戦を迎え、日系の軍官・生徒は、ソ連軍に武装解除される。そこで生死を分かつ「運命の分かれ道」があった。