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「(政府は)原発の火災や爆発の恐れについて、十分なリスクシナリオを公開していたとはいえない。潜在的な信頼欠如は否定できなかった」
健康食品などのネット販売を手がけるケンコーコムの社長だった後藤玄利氏は、東京電力福島第1原発事故から約2週間後の3月下旬、東京の本社を福岡市に移転することを決めた。5月に社員の約3分の1と本社機能の一部を移転し、平成26年には本社を完全移転した。
関西などへ避難した外資系企業の多くは23年4月以降、首都圏に本社機能を戻した。計画停電による電力不足や交通の乱れが改善したことに加え、放射能汚染の不安が解消されたためだ。
ただ、目に見えない放射線への不安は、その後の企業活動に制約となった。森永乳業や流通大手のイオンは自社製品や自主企画商品を独自に検査。自動車メーカーも自主的に車両の放射線量を測定した。大手自動車メーカー首脳は「海外では『日本製はすべて放射能で汚染されている』という前提だった。コストはかかったが、データを取り、信頼を回復するしかなかった」と話す。
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被曝(ひばく)への不安から、母親が子供を連れて遠隔地へ逃避するケースもあった。沖縄県や北海道、東南アジアやアフリカに移住した人もいる。調査した筑波大の徳田克己教授は「(放射線量が低い)関東などに住む母子が大半だったことに驚いた」と明かす。