1988年のソウル五輪の男子マラソン代表選考は、福岡国際マラソンの一発勝負とされた。有力ランナーがこぞって参加したが、瀬古利彦選手は左足の故障で欠場した。ライバルの中山竹通選手の「はってでも出てこい」という発言は、「僕ならはってでも出ますけどね」をマスコミが誇張した。
▶みぞれまじりの雨と強風の中、ぶっちぎりで優勝した中山選手は文句なしで選ばれたが、救済措置でびわ湖毎日マラソンに勝った瀬古選手も代表に入った。マラソン代表をめぐるゴタゴタはこの時からだ。福士加代子選手が、名古屋ウィメンズマラソンに一般参加でエントリーした。
▶大阪国際女子マラソンに好記録で優勝して「リオ決定だべ!」と叫んだが、内定は出なかった。日本陸連はメダルを狙うため「出場は避けてもらいたい」と伝えたが、他の選手のタイム次第では代表になれない可能性がある。どうもすっきりしない。選考方法に問題があるからではないか。