静岡 古城をゆく

内牧城(静岡市) 地誌に残る狩野氏の支配地

 元弘3(1333)年、北条氏が倒れ鎌倉幕府が滅亡すると、後醍醐天皇による建武の新政がスタートした。このとき京都には治安維持や御所警護に当たる武者所が置かれるが、その一員として名前が出てくる狩野介(かのうのすけ)貞長は、駿河国安倍山(あべのやま)(安倍川の上・中流域=安倍郡)を本拠とする武士であった。

 京都では、鎌倉幕府を滅亡させた第一の功労者である足利尊氏が北朝の武士政権を樹立。後醍醐天皇の南朝と57年間にわたる抗争を繰り広げるが、狩野氏は一貫して後醍醐天皇を支援した。

 これに対し、尊氏は国々に守護を置いて治安維持に当たらせ、駿河国には足利一族の石塔義房を補任したが、建武4(1337)年の青野原の戦いを契機に守護職は今川範国(足利一族の吉良氏系)に取って代わられた。範国は同5年、国府に守護所を置いて貞長の安倍城を攻め、駿河南朝方の掃討作戦を開始している。

 江戸時代後期の地誌『駿河記』は狩野氏の支配地を安倍城北麓の内牧郷とした上で、内牧城を「狩野氏城址」と記している。この地は里人から「かなどの城山」(狩野殿の城山?)と呼ばれ、近くの結成寺や安倍川に架かる狩野橋も狩野氏に由来するという記述が同書にはある。

 しかし、新東名高速道路の建設に伴い行われた同地の発掘調査では、内牧城とみられる城郭遺構は一切発見されなかった。文献資料の掘り起こしも含め、正確な場所を特定するための努力が今後、さらに必要となろう。(静岡古城研究会会長 水野茂)