ふるさとを語ろう

サプレ社長・上野秀一さん

「小学時代にコンピューターに触れた」と語る上野氏
「小学時代にコンピューターに触れた」と語る上野氏

 ■「カウンタックで抱いた社長の夢」

 趣味に関する教室の情報を提供する「趣味なび」というインターネットサイトを運営しており、全国で約1万3千もの教室・スクールが登録しています。

 出身は大分県中津市です。実家は祖父の代からノリの生産を始めました。父の代になって、私が幼い頃に廃業しましたが、真冬でも午前1時に起き2時頃から作業を開始する、ハードな仕事だったようです。私は、ノリ養殖発祥の地である東京・大森(大田区)の近くに住んでいます。本社オフィスがある八丁堀には、中津藩の中屋敷がありました。故郷との不思議な縁を感じますね。

 小学生の時は野球に熱中していました。現在では考えられないスパルタ練習で、練習中、水を飲めないのは当たり前。ミスをするとケツバットでした。

 小学校5年の時は、地元の中津工業高校が甲子園に出場しました。エースは同級生の兄ということもあって、大興奮でしたよ。1回戦は勝利を収め、2回戦は夜行列車に乗って応援に行きました。相手は今話題のKKコンビを擁するPL学園。2人とも1年生でした。

 5回までは0対0と善戦しアルプススタンドには「いけるんじゃないか」といった雰囲気が漂い始めました。ところが、雨による中断後は一気に相手のペースに。結局、桑田にホームランを打たれ、完封負けでした。その勢いでPLは全国制覇を果たします。

 野球漬けの中、小学生時代には現在の仕事につながる出会いがありました。友人の父が経営する病院にコンピューターがあったのです。雑誌を読みながら簡単なゲームプログラムを開発したのですが、その工程がとにかく面白くて。「将来的にはコンピューターの仕事がしたい」と思うようになりました。

 また、第2次スーパーカーブームでもありました。ランボルギーニ・カウンタックを実際に見て、「ぜひとも欲しい」と思い、「社長になること」が将来の夢になりました。価格は2千万~3千万円台なので、子供心に「医者か弁護士でなければ無理」と現実的に判断していましたが、「勉強漬けの日々は野球ができなくなる」と社長を意識するようになった次第です。もっとも今では、カウンタックを購入するならリタイア後と考えは変わりましたが。

 高校受験のときは「野球に真剣に取り組むのであれば中津工、勉強なら進学校の中津南」と考え、結局は後者を選びます。中津南高で弓道部に所属しました。高校から始める人が大半で「活躍できるかも」と思ったからです。最終的には初段まで昇格し団体で九州大会に進みました。

 私は団塊ジュニアの世代。人数が多くて受験戦争も厳しかった。3年生のときセンター試験元年でした。結局、大学入試はことごとく失敗。浪人して再挑戦する道もあったのですが、「時間がもったいない」という気持ちの方が勝り、上京して日本工学院八王子専門学校に進学し、コンピューター関連を中心に勉強します。卒業後はIT(情報技術)関連の仕事を続け平成17年にサプレの前身となる会社を設立、念願の社長に就任しました。

 当社では趣味文化の輪を広げるため企業との連携に力を入れています。また、ホームページ(HP)の作成支援を行い、旅行の企画も考えています。例えば後継者不足が深刻化している佐賀・有田焼の場合、趣味なびの陶芸教室を通じ全国の焼き物ファンを現地に呼び込み、昼は陶芸を楽しんで夜は嬉野温泉で佐賀牛を食し、完成した作品はEC(電子商取引)で販売するといったビジネスモデルが可能です。こうした取り組みを積極的に仕掛け、九州の活性化に寄与したいですね。 (伊藤俊祐)

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 次回は協和エクシオの小園文典社長が登場する予定です。

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【プロフィル】うえの・しゅういち

 大分県立中津南高校、日本工学院八王子専門学校卒。富士通や電通のマーケティング関連企業の勤務を経て平成17年、サプレの前身となるディアグロス本社を設立。19年4月にサプレに商号を変更、現職。44歳。大分県出身。

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