共産思想の浸透
以上が第一の日本否定である。GHQによる。だが、それだけではない。
日本が独立したあと、建国記念の日を祝日とする改正案は何度も出されたが、成立しなかった。改正はやっと昭和41年。怒号ともみ合いの国会になったこともある。反対勢力は国内に根強かった。
1960(昭和35)年安保の前後、左派が強い影響力を持っていた時代である。終戦直後から日本ではマルクス主義知識人らが発言力を増し、共産思想や容共的な姿勢が社会に浸透した。GHQ内部にも共産主義者がいた。
そもそも共産思想は「国家を廃絶する」(レーニン「国家と革命」)という考えを出発点に持っている。終戦までの日本を否定する占領下に敷かれた軌道を、国家一般を否定する思想がさらに強めたと筆者は考えている。それらは互いに増幅し合って戦後の潮流をなした。当然ながらここでは特定の政党について書いているのではない。戦後日本が内側に抱えることになった、強固な日本否定という思潮について書いている。日本人でありながら日本を否定することが、進歩的であるかのような状況ができてしまったのである。
共産思想の猛威が去った後もこの思潮は残った。それは教育やメディアを通じて拡散し、受け継がれた。国旗・国歌への反対、歴史問題での過剰な自己卑下など、同じ思潮が装いを変えて変奏されていることがわかるだろう。それらは象徴と歴史の面での国家の否定なのである。
潮流の変わり目
しかし筆者は、このような戦後の潮流がいま大きく変わろうとしていると感じている。その表れの一つは、昨年11月、大阪市内であった交声曲「海道東征」コンサートだった。
紙面で紹介させていただいた通り、神武天皇の東征を題材とした北原白秋の詩に、「海ゆかば」の作曲で知られる信時潔(のぶとき・きよし)が曲をつけた。神武即位から数えて皇紀2600(昭和15)年の奉祝曲だった。日本の建国を気高くまた愛らしく歌い上げた傑作である。