およそ国家は建国の物語や神話を持つものだろう。国民として大切にしたい財産である。ところが日本の事情は簡単ではない。
建国記念の日の11日、これを祝う祭事や集会が各地であった。一方、反対する集会もあちこちで開かれた。
筆者も関西のある反対集会に行ってみた。建国記念の日に反対するペーパーが渡され、安全保障関連法は戦争法だという講演があった。偏った集会だった。
なるほど批判も集会も保障されていよう。しかし自らの出自を否定する声が声高に聞こえる社会は、健全ではない。出自を否定して、自国を愛する心が育つとは思えない。自国の安全保障を軽視することにも容易につながる。
それは建国記念の日への無関心、あるいは忌避ともなって社会の各層に浸透してもいくだろう。日本青年会議所が昨年、建国に関する意識調査を行っている。建国の日を正しく答えられた日本人は2割に満たなかった。中国は100%、アメリカ、カナダで9割超。インターネットを見れば、「『建国記念の日』は悪い日なんですか」などの質問が書かれている。
建国記念の日の否定は、戦後日本を覆ってきた「日本否定」ともいうべき思潮の端的な表れなのだ。日本人でありながら日本を否定するという風潮が、長くこの国を覆ってきた。
GHQと祝日改廃
2年前の当欄でも、筆者は建国記念の日について書いた。この日が現在の形の祝日となった経緯はそのとき触れたが、改めて記す。
2月11日は紀元節として明治の初めに祝日となった。初代の神武天皇が即位した日。終戦までの日本の祝日は、収穫に感謝する11月23日の新嘗(にいなめ)祭など宗教色のあるものが多かった。
これを嫌ったのが敗戦後日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)だった。国家神道を禁じる神道指令を終戦の年の12月に出すなど、日本の改革を行った。神道に由来する祝日の改廃も勧告。昭和23年の祝日法では11月23日が「勤労感謝の日」になるなど宗教色が薄められた。2月11日は祝日とできなかった。GHQ宗教課の調査スタッフだったウィリアム・ウッダードの記録では日本側との会議で、2月11日が国会で祝日とされても許可しない、とGHQは申し渡している(「天皇と神道」)。