都市を生きる建築(55)

「堅固」とあだ名された都市の象徴…日本銀行大阪支店

【都市を生きる建築(55)】「堅固」とあだ名された都市の象徴…日本銀行大阪支店
【都市を生きる建築(55)】「堅固」とあだ名された都市の象徴…日本銀行大阪支店
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 江戸時代の豪商・淀屋の名を残す淀屋橋。そのほとりの建物は、伝統と折り合う街・大阪のシンボルの一つだ。向かいに建つ大阪市庁舎、国の重要文化財に指定されている大阪府立中之島図書館、大阪市中央公会堂と続く一帯には、かつて蔵屋敷が建ち並んでいた。それらが西洋風に変貌を遂げる先陣を切って、日本銀行大阪支店は1903(明治36)年に完成した。

 明治の大建築家・辰野金吾が設計を指揮した。御堂筋に面した顔は、西洋の古典建築に範をとった堂々としたつくりで、同じ辰野の手による東京の日本銀行本店にも負けていない。

 もう一人、片岡安の存在も覚えていてほしい。旧姓・細野安として金沢に生まれ、東京帝国大学で辰野に建築を学んだ後、日本銀行の技師として大阪に着任。大阪支店に携わっていた最中の1899年、当時・日本生命保険副社長だった片岡直温の婿養子となった。1905年には辰野と共同で辰野片岡建築事務所を開設。西日本一円で数多くの建築を手がけ、1917年に関西建築協会(現・日本建築協会)を設立するなど、政財界とのつながりと第一級の建築知識とを併せ持った人物として、大阪に確固とした建築界を樹立した。そんな片岡の活躍も、この建築が無くては生まれなかった。

 片岡が推し進めた大阪の近代化は、単体の建物にとどまらない。1916年には日本初の本格的な都市計画の教科書と言える『現代都市之研究』を著した。この本の中で片岡は、都市の大改造を主張する一方、古い建築を尊重することも必要と述べている。