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放映中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」は視聴率が毎回ほぼ20%を超え、近年の朝ドラの中でもかなりの好調をキープしている。
新聞社の編集局は、だいたいテレビがつけっぱなしで(もちろんニュースを見るためだが)、私も社内にいると視界に入ってくるが、別に一生懸命見ているわけではないので、ストーリーなどよく分からない。ただ、若い男優のサラサラのヘアスタイルだけは何とかならないものだろうか。当時の男性の写真を見ると、ざん切りだったり丸刈りだったりで、どうも違和感がある。
それはともかく、ヒロイン(白岡あさ)のモデルとなった明治時代の女性実業家、広岡浅子(1849~1919年)を紹介する展覧会が、彼女の支援で創立された日本女子大学(東京都文京区目白台)で開かれているので出かけてみた。
8億円を寄付
浅子は京都の豪商、三井家に生まれ、15歳で大阪の豪商、加島屋に嫁ぐ。夫の信五郎は家業より趣味に関心が高かったため、浅子が九州の炭鉱まで乗り込んだり、銀行や生命保険会社を設立したのはテレビの通りだ。
日本女子大との関わりは、創設者の成瀬仁蔵(1858~1919年)の女子教育への支援を要請されたことがきっかけだ。三井家では「女に学問はいらない」といわれ、13歳で読書を禁じられた浅子は、女子教育に関心があったようだ。当初は成瀬の考えに賛否を表さなかった浅子だが、九州の炭鉱へ向かう途中、成瀬から渡された著書『女子教育』を3回繰り返し読み、「感涙が止まらなかった」と直ちに賛同したという。