難読地名を行く-茨城編

南北朝時代に入植した家の件数 日立市入四間町(いりしけんちょう)

【難読地名を行く-茨城編】南北朝時代に入植した家の件数 日立市入四間町(いりしけんちょう)
【難読地名を行く-茨城編】南北朝時代に入植した家の件数 日立市入四間町(いりしけんちょう)
その他の写真を見る (1/4枚)

 県名を「いばら『ぎ』」と間違って読まれてしまう茨城県の難読地名第二弾-。

 茨城県日立市の中心街から山沿いの県道を10キロほど進むと、突然、住宅の密集する集落にたどり着く。現地に足を運んだその日、市街地より気温は数度低かった。日立市の山あいの集落。入四間町と書いて「いりしけんちょう」と読む。

 江戸時代前期から代々、入四間町に住んでいるという金川文弥さんは、地名の由来について「地元住民の間では、最初に入植した家が4軒だったから、と言い伝えられている」と教えてくれた。

 「郷土ひたち第9号」(郷土ひたち文化研究会著)には「入四間部落の成立は、遠く南北朝時代にさかのぼる」と記述がある。当時、奥州白河村(現福島県白河市)周辺で南朝に加勢していた「関氏」が北朝に敗れ、追手を恐れてこの地にたどり着いた。その際に入植したのが、関氏と3人の武将の世帯の4軒だったというのだ。

 同書には「入(いり)とは山深い谷を意味し」という記載も見つけることができた。総合すると、山深い谷を意味する「入(いり)」と、関氏をはじめとする「四軒」で、「入四軒(いりしけん)」という地名が成立したことが推測できる。いつ頃「入四軒」が、「入四間」へと変貌を遂げたのだろうか。

会員限定記事会員サービス詳細