【話の肖像画】元雲取山荘主人・新井信太郎(2)登山ブームで大忙し(1/2ページ) - 産経ニュース

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話の肖像画

元雲取山荘主人・新井信太郎(2)登山ブームで大忙し

結婚後間もなく、山荘の玄関前で妻の君江さん(左)と =昭和44年
結婚後間もなく、山荘の玄関前で妻の君江さん(左)と =昭和44年

 〈雲取山荘の2代目管理人となったのは昭和35年。約30年にわたって管理人を務めた先代の富田治三郎さんが57歳で死去し、後を継いだ〉

 先代は肺炎を悪化させ、約2年間入退院を繰り返し、「山で死にたい」と最期を山荘で迎えました。25歳になったら山を下りるつもりだったし、まさか小屋番を継ぐとは思ってもいなかった。両親にもそう伝えていましたから。だけどね、先代には子供がいなかった。先代がもう少し長生きして、私が25歳を超えていたら、こんなに長く山人生を送ることはなかったのかもしれないな。

 〈山荘の前身は武州雲取小屋と呼ばれ、昭和3年に地元の秩父鉄道が建設した。その後、建て替えと増築を経て収容人数は300人となった。登山ブームが到来した時代で、雲取山にも多くの登山客の姿があった〉

 秩父鉄道が登山者のために上野駅発の「くもとり号」という夜行列車を運行していました。世間の休みは日曜日だけだったから、出発は土曜日の夜。夜中から早朝にかけて多くの人が三峰山から登り始めました。ほかに娯楽も少なくて、2千メートルを超える雲取山は東京都心からも近く、それこそ大人気だったんだ。